むかーし、自分が鬱になった頃。
どうしてこんなふうになっちゃったんだろう、
どうしたらいつもの自分に戻れるんだろう、と、
自分でもどうしていいのかわからず
毎日途方に暮れていた頃、
お医者さんがこう言ってくれた。
「家に閉じこもってないで、
ちょうどバーゲンの時期だし、
ブーツでも買いに行ったら?
気分も晴れると思うよ
」
その人は本当にいい先生で、
心からそう思ってくれたってことはよくわかった。
当時はバブル(懐)の最後の時期だったから、
何故か世間の人は皆、お金を沢山持っていて(笑)
私も、これまた何故かブーツを
10足も20足も買えるようなお金を持っていた。
でも同時に、そんなことをしたって何の解決にもならない
ってことも、自分は知っていた。
「病気」の部類に入る、本当の鬱の状態だと、
何を言われても何をしても
楽しくないし、気分も晴れない。
例え何百万買い物で散財したって、返って虚しくなるばかり。
それが鬱だ(それ以前にデパートにたどり着けないか・笑)
この状態は、お金なんていくら積んでも解決しない。
その時私は、子供心ながら、
お金なんて、いくら持っていたって
何にもならないんだな、て思った。
鬱だっただけに、それはひどく絶望的に身に染みた。
その後、鬱が治ってからは、
お金のありがたさも当~然、思い出したんだけどね
お金があっても健康は買えないし、
人生で、本当に欲しい物はお金では手に入らない。
だけど、苦境を助けてくれることはしてくれる。
体調が悪いときに会社からタクシーに乗って帰れるとかさ
家族が入院したときもそう。
入院している本人に快適な環境を整えてあげる為にもお金は役立つし、
看病をしている自分のメンテナンスに使うこともできる。
病院のATMからお金を引き出すときに、私は
「ああ、貯金をしておいて本当に良かった」て思った。
お金ってこうやって使うもんだ、と。
そして今、デパートで靴を買う時、
私は本当に、本当に本当に楽しい
ガシガシと歩いてしまう私にとって、靴は消耗品。
でも、足が痛くない靴って
ある程度良い物じゃないと手に入らない。
履き潰してしまうってわかってても、良い物を買うって結構贅沢だよね~
だからなるべくセール時期を狙って買ってるんだけど、
それでも靴を買うのって最高に楽しい。
あーーーー、今私、超~~~贅沢してる!!!

てウッキウキ
靴って、私は女性のオシャレの象徴だと思うんです。
sex&the city のキャリーがマノロ・ブラニクを愛したように、
洋服よりも、香水よりも、バックよりも、
究極にファッションを、流行りを、女性を凝縮したもの、それが靴だ。
(まぁーーー、私はブラニクをワンコ買いできるような
キャリーとは程遠い財布事情だけど~~~
)
靴を選んでいるとき、
私はいつもあの先生の言葉を思い出す。
あの優しい先生の人柄と、私をいたわってくれた気持ちと。
そして、沢山のことに感謝を、ものすごい幸せを感じる。
あの時と違って、
買い物が楽しくて、
好きなものを選ぶってことを楽しめる自分に。
幸せや楽しさを感じることができる健康な自分自身に。
買い物ができるだけの
仕事があることに。
この仕事を始めるチャンスを、
続けていけるようサポートを
与えてくれた宇宙に。
転職するときの辛かった時期を
乗り越えた自分の努力に。
そして何より、仕事を続けていけるのは、
沢山のお客様がお店に来て下さっているということ。
世の中に山ほどあるお店から、
ウチを選んで下さって、足を運んで下さる沢山のお客様に。
ああ、本当にありがたいな。
本当に私は今、幸せだ。
靴を買う時、私はいつもこの幸せをかみしめながら、楽しく選んでる。
あの先生のおかげで、
私にとって靴を買うということは、
人生の至福を感じる瞬間になった。
人生、例えどんなに辛いときも、辛いときだからこそ
自分が恵まれているところに気づく。
会社をクビになったときだってそうだった。
お金が無くても住んでいられる実家があったってこと。
職無しの自分が、こんなに快適な部屋に住めて、
ゴハンを出してくれる親がいてくれるってこと。
苦境で悩んだ末、私をクビにした会社の社長がそれでも、
私のことを心配して、本当に大きなサポートをくれたこと。
何~~にも楽しくない、と思っていたバイトも、
働き口があることのありがたさをヒシヒシと感じたり。
無駄話をしているだけでも気持ちが晴れるってことに気づいて、
隣にいるだけで不愉快なオヤヂ(すいません
)でも、
話し相手になってくれて、妙にありがたかったり(笑
苦境や絶望があったらあっただけ、
毎日の何気ない日常が全て「私は恵まれている」と思えるようになる。
困難の真っ只中にいるときすら、そう思える自分に
「昔よりちょっとは成長したじゃん」て思えるようになる。
そしてそれは、困難を乗り越えた後も、自分が気がついた
「手の中にあるもの」に、ずっと感謝し続けることができる。
これは聞えの良い精神論かな? 綺麗事かな?
「自分が満たされないと思ったら、そう思いなさい ( ̄へ ̄
」と、
誰かに説教されて、
満たされない自分に見ないフリして、
本音に蓋をして、上から無理やり自分を抑えつけることだろうか?
何かを、自分が本当に無くしてしまった後で、
それを再び手に入れたとき、
私達は頭で無理やり自分に言い聞かせるんじゃなくって、
お腹の底から理解できるはず。
自分が当たり前に持っていた物が、いかに恵まれていたかってことを。
もしあなたが、一度でもそんな体験をしたのなら、
その後は何を見ても何を体験しても、
自分の手の中にある物にありがたさを感じられるはず。
「え~・・・そんな風に思えない。
私 恵まれてるところなんて、何にもないけど
」
もし、あなたがそんな風に思っているのであれば、
あなたは本当の意味で何も失ったことが無いってことかもしれない。
でもそれって、何よりも恵まれていることだよね?
キツイこと承知で言うならば、
毎日楽しくない、つまんない、
人に比べて自分は恵まれていないと思っているなら、
それは誰のせいでもない、自分のせいだ。
何の変哲もない、退屈で変化のない生活の中のこそ、
そこに幸せを見出すことができるのは、自分自身の力量。
でもそれは、「だから他は我慢しなさい」ってことではなくて、
満たされないものがみつかれば、
恵まれている物に励ましてもらって、
後は自分で頑張れってことで・・・
自分の人生に幸せを感じることができるようになるのは
自分自身しかいない。
そして幸せをかみしめることができるネタは、
どこにでも転がっているのだ。
さぁ、saleが始まるよ!
靴を買いに行こうよ!!!



どうしてこんなふうになっちゃったんだろう、
どうしたらいつもの自分に戻れるんだろう、と、
自分でもどうしていいのかわからず
毎日途方に暮れていた頃、
お医者さんがこう言ってくれた。
「家に閉じこもってないで、
ちょうどバーゲンの時期だし、
ブーツでも買いに行ったら?
気分も晴れると思うよ

その人は本当にいい先生で、
心からそう思ってくれたってことはよくわかった。
当時はバブル(懐)の最後の時期だったから、
何故か世間の人は皆、お金を沢山持っていて(笑)
私も、これまた何故かブーツを
10足も20足も買えるようなお金を持っていた。
でも同時に、そんなことをしたって何の解決にもならない
ってことも、自分は知っていた。
「病気」の部類に入る、本当の鬱の状態だと、
何を言われても何をしても
楽しくないし、気分も晴れない。
例え何百万買い物で散財したって、返って虚しくなるばかり。
それが鬱だ(それ以前にデパートにたどり着けないか・笑)
この状態は、お金なんていくら積んでも解決しない。
その時私は、子供心ながら、
お金なんて、いくら持っていたって
何にもならないんだな、て思った。
鬱だっただけに、それはひどく絶望的に身に染みた。
その後、鬱が治ってからは、
お金のありがたさも当~然、思い出したんだけどね

お金があっても健康は買えないし、
人生で、本当に欲しい物はお金では手に入らない。
だけど、苦境を助けてくれることはしてくれる。
体調が悪いときに会社からタクシーに乗って帰れるとかさ

家族が入院したときもそう。
入院している本人に快適な環境を整えてあげる為にもお金は役立つし、
看病をしている自分のメンテナンスに使うこともできる。
病院のATMからお金を引き出すときに、私は
「ああ、貯金をしておいて本当に良かった」て思った。
お金ってこうやって使うもんだ、と。
そして今、デパートで靴を買う時、
私は本当に、本当に本当に楽しい

ガシガシと歩いてしまう私にとって、靴は消耗品。
でも、足が痛くない靴って
ある程度良い物じゃないと手に入らない。
履き潰してしまうってわかってても、良い物を買うって結構贅沢だよね~
だからなるべくセール時期を狙って買ってるんだけど、
それでも靴を買うのって最高に楽しい。
あーーーー、今私、超~~~贅沢してる!!!


てウッキウキ

靴って、私は女性のオシャレの象徴だと思うんです。
sex&the city のキャリーがマノロ・ブラニクを愛したように、
洋服よりも、香水よりも、バックよりも、
究極にファッションを、流行りを、女性を凝縮したもの、それが靴だ。
(まぁーーー、私はブラニクをワンコ買いできるような
キャリーとは程遠い財布事情だけど~~~

靴を選んでいるとき、
私はいつもあの先生の言葉を思い出す。
あの優しい先生の人柄と、私をいたわってくれた気持ちと。
そして、沢山のことに感謝を、ものすごい幸せを感じる。
あの時と違って、
買い物が楽しくて、
好きなものを選ぶってことを楽しめる自分に。
幸せや楽しさを感じることができる健康な自分自身に。
買い物ができるだけの
仕事があることに。
この仕事を始めるチャンスを、
続けていけるようサポートを
与えてくれた宇宙に。
転職するときの辛かった時期を
乗り越えた自分の努力に。
そして何より、仕事を続けていけるのは、
沢山のお客様がお店に来て下さっているということ。
世の中に山ほどあるお店から、
ウチを選んで下さって、足を運んで下さる沢山のお客様に。
ああ、本当にありがたいな。
本当に私は今、幸せだ。
靴を買う時、私はいつもこの幸せをかみしめながら、楽しく選んでる。
あの先生のおかげで、
私にとって靴を買うということは、
人生の至福を感じる瞬間になった。
人生、例えどんなに辛いときも、辛いときだからこそ
自分が恵まれているところに気づく。
会社をクビになったときだってそうだった。
お金が無くても住んでいられる実家があったってこと。
職無しの自分が、こんなに快適な部屋に住めて、
ゴハンを出してくれる親がいてくれるってこと。
苦境で悩んだ末、私をクビにした会社の社長がそれでも、
私のことを心配して、本当に大きなサポートをくれたこと。
何~~にも楽しくない、と思っていたバイトも、
働き口があることのありがたさをヒシヒシと感じたり。
無駄話をしているだけでも気持ちが晴れるってことに気づいて、
隣にいるだけで不愉快なオヤヂ(すいません

話し相手になってくれて、妙にありがたかったり(笑
苦境や絶望があったらあっただけ、
毎日の何気ない日常が全て「私は恵まれている」と思えるようになる。
困難の真っ只中にいるときすら、そう思える自分に
「昔よりちょっとは成長したじゃん」て思えるようになる。
そしてそれは、困難を乗り越えた後も、自分が気がついた
「手の中にあるもの」に、ずっと感謝し続けることができる。
これは聞えの良い精神論かな? 綺麗事かな?
「自分が満たされないと思ったら、そう思いなさい ( ̄へ ̄

誰かに説教されて、
満たされない自分に見ないフリして、
本音に蓋をして、上から無理やり自分を抑えつけることだろうか?
何かを、自分が本当に無くしてしまった後で、
それを再び手に入れたとき、
私達は頭で無理やり自分に言い聞かせるんじゃなくって、
お腹の底から理解できるはず。
自分が当たり前に持っていた物が、いかに恵まれていたかってことを。
もしあなたが、一度でもそんな体験をしたのなら、
その後は何を見ても何を体験しても、
自分の手の中にある物にありがたさを感じられるはず。
「え~・・・そんな風に思えない。
私 恵まれてるところなんて、何にもないけど

もし、あなたがそんな風に思っているのであれば、
あなたは本当の意味で何も失ったことが無いってことかもしれない。
でもそれって、何よりも恵まれていることだよね?
キツイこと承知で言うならば、
毎日楽しくない、つまんない、
人に比べて自分は恵まれていないと思っているなら、
それは誰のせいでもない、自分のせいだ。
何の変哲もない、退屈で変化のない生活の中のこそ、
そこに幸せを見出すことができるのは、自分自身の力量。
でもそれは、「だから他は我慢しなさい」ってことではなくて、
満たされないものがみつかれば、
恵まれている物に励ましてもらって、
後は自分で頑張れってことで・・・

自分の人生に幸せを感じることができるようになるのは
自分自身しかいない。
そして幸せをかみしめることができるネタは、
どこにでも転がっているのだ。
さぁ、saleが始まるよ!
靴を買いに行こうよ!!!




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